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1830年頃から熊谷の祭りはいっそう賑やかになり、祭りの日には各戸で赤飯を炊いて疫病除けの祈願をしました。商店では訪れる買い物客へ赤飯を振る舞い、この「赤飯振舞」は熊谷の祭りの名物になりました。その後、泉屋横町の「泉州」という料亭が手間の掛かる赤飯の代わりに江戸から買い入れた渋うちわを客に進呈したところ、大変な評判に。やがて各商店も同じように赤飯の代わりにうちわを振る舞うようになり、これが「うちわ祭り」の発端となりました。そして時代が流れるにつれ、疫病退散祈願の祭りから、いつしか五穀豊穣・商売繁盛の祭りへと変わりました。 | |||||||
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写真提供:①②⑤熊谷市観光協会、③筑波区、⑥銀座区 | |||||||